藤川帳

Studio F#の音楽とか吉里吉里とか担当の藤川ヒロヒコのブログ。
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ぼくのかんがえたさいきょうのウェラブルデバイス

最初に断っておくが、今日の記事は完全に妄想の産物である。

腕時計型にせよ何にせよ、たぶんウェラブルデバイスに液晶モニターが搭載されている必要は無いのである。もちろんタッチパネルも必要無い。表示部は腕時計型ならクォーツ式の時計と着信などの通知用LEDだけで充分。スピーカーも不要。マイクももちろん要らない。メガネ型でもレンズに何かを映したりしてくれなくて良いし、カメラなんぞも必要無い。

その代わり現在のデスクトップPCに匹敵する高性能なワンチップPCが載っているのである。OSはWindowsかOS X。それがBluetoothでキーボードやマウス、モニター、その他周辺機器と繋がる。あるいはスマホ風のものと繋がる。スマホ風のものは今あるようなちゃんとしたスマホではなくただの入出力用端末、つまり本体はあくまでウェラブルデバイス側なのである。他に無線LANや3G、LTEといった通信機能は必須となろう。時計型ならNTPによる時刻合わせも必須である。これに加えて歩数計や脈拍計などのライフログ系のものがあるとなお良い。充電は無接点が望ましい。

これをいつも腕に巻くなり耳に引っかけるなりしておいて、家や会社ではパソコンっぽく使い、外出中はスマホっぽく使う訳である。もうちょっと妄想をたくましくして、駅や喫茶店やホテルに公共のキーボード、マウス、モニターが設置され、それをちょっと借りたりできれば便利だ。

接続先の入出力端末をどのように切り替えるかとか、その前にも色々と解決すべき問題はたくさんあるだろうが、どちらかといえばぼくにはこういうデバイスの方が便利なように思えるし、何となく動作時間も延びそうである。もっとも、通信に結構な電力を使うようなので、そう簡単にはいかないのだろうけど。

現実的なことはともかく、これひとつで家でも外でも連絡から仕事までこなせるようになれば、ぼくのような人間には大変ありがたい。別にノマドな人々のようにスタバで仕事をしたいという訳ではなく──まあしても良いのだが──帰省やイベント遠征の度に実家その他あちらこちらにノートPCを持って移動している状況が改善されたら嬉しいなぁということである。

それにこういう機械なら懐中時計型でもそんなに違和感は無さそうだ。この場合はスマホ風のデバイスは不要というか、まあスマホが進化したようなシロモノになるだろうか。ウェラブル度(どんな度合いだ)は低くなるが、その代わり低温火傷の心配もしないで済むだろう。

アイデア料を主張したりしないから、どこか作らないだろうか。モバイルデバイスで出遅れ感のあるマイクロソフトさんとかどうですか。あるいは、ぼくが思い付くくらいだから、似たような製品が既にあるのかもしれない。知っている方がいたら教えてください。

雑記 | 19:50 | - | - | pookmark
観察癖

故あって今度は3DCGを始めた訳である。造形センスは中学校辺りに忘れてきたのでモデリングとテクスチャ作成はちょっと御免被っているが、そこから先、ボーンを入れたりモーションを付けたりするのはぼくの仕事である。

しばらくすると物の見方が変わった。ある一連の動きが、何と何がどのように連携することによって作られるのかということを、半分無意識に観察するようになった。ふと気付くと街行く女性のスカートの揺れを凝視したりなどしているので、下手をすると捕まりかねない。

こういう体験は3DCGに限らずしょっちゅうある。楽器を始めたら曲の聴き方が変わったし、作詞や作曲を始めたらまた変わった。プログラミングもそうで、殊にコンピューターゲームを素直に楽しめないことは多い。戦闘中やイベント中、どう書いたらああいう風になるだろうなどと考えてしまうのである。クリエイターとか呼ばれている人種は多かれ少なかれこういう傾向があるんじゃないかと思っているのだが、どうだろう。

よく言われるように、学習は模倣に始まる。その対象は他人に限らないし、他人の作品にも限らない。身の回りにある万物は人に模倣されるために存在すると言っても過言ではない。例えば画家が写生をするのはその典型だ。換言すればこれは物事をよく観察してその要素を自分の中に取り込むという作業で、そうして蓄積したものを組み合わせることで、ようやく作品が形になっていく。もちろんそこには個性やオリジナリティも必要だが、きっとそれはスパイスか調味料程度のものなのだ。

つまるところ多くの先達が散々残している言葉に落ち着いていくのだけど、それは割と真実っぽいなぁと、ようやく最近思えるようになった。まだまだ先は長い。とりあえずは通報されない人間観察の方法を早急に会得しなければなるまい。

雑記 | 14:31 | - | - | pookmark
Apple Watchが発売間近だそうで

Apple Watchが発表されて世が騒然としてからしばらく経ち、先日ようやく予約が開始されたそうである。この機械にはいくつかのバリエーションがあって、数万円のものから100万円を優に超す高級モデルまで用意されている。アメリカではスポーツモデルの予約があっという間に100万台を突破したとか、中国では高級モデルが予約完売になったとか、予約段階でも話題に事欠かないのは実に結構なことだ。同様のコンセプトでかなり前に登場したにも関わらずマニア向けの域を出られずにいるSONYの某製品とは大違いである。

ぼくはこの機械を欲しいと思わないが、さりとてそう批判的な訳でもない。ただ、いわゆるウェラブルデバイスが一般化するとして、そのときにも腕時計型が主流だとちょっと困るなとは思う。肌が弱いからである。普通の腕時計でも少し汗ばむだけですぐにかぶれるので着けていられない。

それなら腕時計型でなければ良いのかという話になるが、腕以外は肌が強いかというとそんなこともないので、なかなか難しい。指輪は好きでよく嵌めているが、これも材質によっては駄目だし、そもそもモニターを埋め込むにはいかにも小さい。ホログラフィを搭載できれば面白そうだが、期待するのはちょっと気が早そうだ。要するに、ぼくは現状ウェラブルデバイスとは相性の悪い体だということになるのだろう。

ところで、もし肌に優しい素材の腕時計型デバイスが出たとして、そのときぼくがそれを買うかというと、多分買わない。実のところぼくは懐中時計が好きだからである。出かけ際に腕時計を巻き付けるより懐中時計をひょいと持って行く方が手軽だし、その方がお洒落だとも思っている。周りが腕時計やスマホやケータイで時刻を確認している中、おもむろにポケットから懐中時計を取り出して眺める姿が格好良いと感じるのはおかしな感性だろうか。

そんなことを考えていて、ふと懐中時計型のデバイスが出たら買うかもしれないなと思った。が、よく考えてみると、それはスマホとそう変わらないものであった。しかも大してウェアラブルでもない。スマホと連携するにはちょっと意味の無いデバイスになりそうである。よく考えなくてもそうなのだが。

雑記 | 14:42 | - | - | pookmark